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ふと思ったこと、普段考えていることを言葉にのせて。
「福岡」を舞台にしたショートストーリーも掲載。
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| - | | - | - | pookmark | 昨年の記事
遠い場所から〜東日本大震災

あの日、九州ではー何もなかった。

翌日の九州新幹線の開通を控え、街のムードは盛り上がっていた。多くのイベントが予定されていた。私自身はそれほど浮かれ気分ではなかったけれど、昨日までと同じような生活が明日以降も続くのだと、当然のように思っていた。

震災の影響で、新幹線の開通は予定通り行われたのだが、記念イベントはすべて中止になった。津波注意報も出た。けれど、結局は津波はほとんど来なかった。
経済活動には大なり小なりの影響を及ぼしているらしい。新幹線のイベント中止だけでも、実際、かなりの損失が出ただろう。

とはいえ、私の日常は、震災後もほとんど変わることなく続いている。これまでの長い年月と同じような、ありふれた毎日が継続している。スーパーに行っても、一部の物資が品薄になっていたりはするが、それがないと生活が困るわけでもないし、交通機関が麻痺したりしているわけでもない。

もしも、私の日常のどこかが「今までと違う」としたら、テレビをつけたら、しょっちゅう震災関連の番組をやっていることくらいだ。そもそも私はあまりテレビを観ない方だったのだが、震災以降の視聴時間が増えたことが、もっとも生活の変化を感じるくらい。
裏を返せば、テレビなどのメディアをチェックしていなければ、震災などまったく関係ない日々が続いている。

けれど、私が日本人である以上、震災は「無関係」ではない。この出来事は、何十年、何百年経っても、必ず歴史の中で取り上げられる。私自身も加わっている日本の歴史の中に。
あの日を境に日本は変わったよね、と言われる・・・かもしれない。
当たり前のありきたりの日々が、一瞬にして寸断されたのだから。
この震災は確実に日本全体に影響を与える。日本は大きな船。その一部が大きな傷を受けてしまうと、国全体が沈みかねない。映画で見た、タイタニックの姿が頭をよぎった。なすすべもなく、冷たい海の中に飲み込まれていく船体。

私は何をすればいいのだろう。

ソフトバンクの社長、孫正義氏が、個人資産から100億円を義援金として被災地に送ったことが話題になった。それができるのは、この人が資産家だから。私の手元には、その100分の1ですら、全資産からほど遠い。孫氏のような支援をすることはできない。
芸能人などの有名人達は、その抜群の知名度と人気を活かして、募金活動やチャリティーコンサートなどをしている。私のような無名な人間は、大勢の人を集めることはできない。
天皇陛下は、混乱している日本国内に向かってメッセージを送られた。それを聞いて、心が落ちついたという人も多かったと思う。私は国民を癒す言葉を送ることはできない。
そして、被害地域で必死に頑張っている消防署員、自衛隊員、電気会社の社員達・・・。私には技術がないから支援にいけない。
さらには、「節電地域」でもないから、節電で復興の一助を担うことすら、できない。

でも、私にもできることはあると思う。

一人一人が今一番すべきことは、「自分に何ができるのか」を考えること。実際に、私がすぐにできることは募金くらいしかないけれど、これから死ぬまでの間に私ができることは、まだまだあるだろう。

変わっていく日本の真っ直中に、私は生きているのだから。

震災が、他愛のないニュースの一つに思えるほどに遠く離れた場所にいるからこそ、私にできることをじっくり考えていきたい。

| - | 15:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
原子力を考える〜東日本大震災について
JUGEMテーマ:2011 地震(東北地方太平洋沖地震)

スイッチを押せば部屋がぱっと明るくなり、寒いときや暑いときはボタン一つで快適な温度にできる。夕べのご飯も楽々簡単に温めて食べられる―それはすべて、電気のおかげ。今書いているこの文章も、電気によって生み出されている。本当は、紙とペンさえあれば、文章なんてどこででも書けるのだけど、電子文字は便利で早いから、ついPCに手が伸びる。

私は節約が趣味のようなところもあるので、節電は普段から心がけている。そうすれば、電気代も浮くし、浮いたお金で自分の欲しい生活を手に入れられるから。

電気は使わないようにしている、とはいえ、まったく電気がないとさすがに困る。以前、暑い時期に6時間ほどの停電を経験したけれど、あの心細さと言ったら!電気がないと、トイレに行くのにも懐中電灯を持って行かなければならないし、扇風機ももちろん使えない。冷蔵庫の中身のことも気になって仕方なかった。電気がつくまでの時間は永遠にも思え、自分がとても無力でちっぽけな存在に過ぎないとことが思い知らされた。
あのときの辛さを教訓にして、今では電池の買い置きはもちろん、携帯電話の充電もできる手回し懐中電灯も備えている。冷蔵庫の保冷のために、保冷剤も冷凍庫にいつも入れている。

とはいえ、さすがにしょっちゅう停電していたら辛いだろう。関東では今、「計画停電」を行っているということだが、生活のリズムは何とか「計画停電」の時間にあわせることができても、家電の調子は悪くなるだろうし、まだ寒い日もある今の季節、小さな子供やお年寄りのいる家庭では大変な生活になっていると思う。何より、企業活動に大きな打撃を与えてしまう。

電気のない生活の不便さに、私たちは耐えることはできない。昔の人は電気なんかなかったよ、って、そうなのだけど、私は生まれたときから電気に育てられてきたようなもの。私が幼い頃は、今ほど電化社会ではなかったけれど、夜はいつも明るかったし、テレビを楽しんだり、こたつでぬくぬくとして眠りこけたりする生活は当たり前だった。そして世の中はどんどん進化し、近代の家は電気があることを前提として建てられるようになり、いまや電気がないと生活が機能しない。

人間の暮らしには電気はあって当然のもの、食べものや着るものと並んで必要なもの、という感覚は、もう私の体からは抜けることはない。

けれど、電気に支えられているこの生活は、大きなリスクと背中合わせであることを、これまで意識したことはほとんどなかった。
発電のための燃料は、風や太陽が作り出すこともできるけれど、今の日本ではまったく足りていない。日本では、石炭による火力発電が一番多く、次いで天然ガス、そして原子力が発電の主力になっているという。
恥ずかしながら私は、今回の事件が起こるまで、電力の源について深く考えたことはなかった。節電は心がけていたが、「なんとなく環境に良さそうだから」「節約すれば、その分お金も貯まるし」という、曖昧で勝手な理由からだった。電気がどのように作られているかを知ろうとはしなかった。今回、これまで興味もなかった原子炉の仕組みについて、多くの知識を身につけた。

「原子力」といえば、日本人には忘れてはいけない歴史がある。原爆だ。その恐ろしさを、私も広島や長崎で目にした。原爆に関する映像や書籍も沢山見た。原子力、というと、とっさに原爆の恐ろしさが連想される。

私の夫は、原子力発電所で数ヶ月仕事をしていたことがあったのだが、その仕事が決まったとき、私はとても心配した。「被曝」の文字が頭をよぎった。守秘義務があるので、家族の私にも詳しくは話していないが、彼は原子炉を実際に目にしたという。そして、原子力発電所がいかに厳重に管理されているかを話した。それはそうだろう。リスクがあることも予想されているから、万全の対策を立てているはずだ。何もなければ、必要以上にリスクにおびえる必要はない。

けれど、今回は起こってしまった。想定外の出来事が。

この先、原子力発電所に対する是非は問われることになるだろう。是、とするのは、今の暮らしを維持していくためにはどうしても多くの電気が必要だから。自然エネルギーは不安定だし、その他のエネルギーでは効率がよくない。原子力はまさに理想のエネルギーなのだ。
一方、非、とするのは、便利さの裏に潜む、計り知れないほどのリスク。すでに原発を飛び出した放射線は、広い地域に影響を与えはじめている。電気よりも便利な暮らしよりも、「命」という根本的な問題を考えると、原子力なんかいらない、と思う。

でも、未来の子供達のために、日本のために、日本の活力を失わせることもできない。日本という国を維持していくために、何かしらのエネルギーは必要で、それは今のところ原子力なのだ。
日本という国の維持、それとそこに住む人々の命や幸せ、そのどちらかを選ぶことはできない。ただ、今回のことで、私たちの多くがこの問題について考えさせてもらえる機会をもらえた。

私が電気のスイッチを押すたびに、原子力が活動する。押せば押すほど、原子力が必要になる。自分も原子力発電所の建設に、知らず知らずのうちに関わっていたのだとはじめて実感した。日本国内に、こんなに原子力発電所を作っていたのは、東電でもなく、政府でもなく、私たち国民だったのだと。

人間の生活に、やはり電気は「必要」だと思う。だけど、「必要以上の電気」はいらない。電気の使用量について、0か100かという話ではなく、「本当に必要な分だけ使う」「なるべく使わない」ことで、問題の多くは解決すると思う。

国民は今、これまで直面したことのない、とてつもない恐怖を前にして、ただ見守ることしかできない。けれど、これからできることなら沢山ある。

そしてそれは、電気の供給会社でも国でもなくて、私たち一人に課せられた責務だ。
| - | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
TSUNAMI〜東日本大震災について
JUGEMテーマ:2011 地震(東北地方太平洋沖地震)

私が地震の一報を知ったのはネットニュースだった。けれど、そのときは忙しかったし、最近では震度6程度の地震では大きな被害はあまり起こっていないことから、それほど気にとめていなかった(私が見たときは震度6という表示が出ていた)。津波警報にしても、どうせいつも津波など来ないし、来たところで数十センチ程度だろうから、と甘く考えていた。

現状を知ったのは、地震発生から数時間後、帰宅してテレビをつけたときだった。
街が、流されていた。

外国での津波の映像なら観たことがある。一瞬にして人や家が押し流されていった恐ろしい光景。多分、津波の真の姿を知ったのは、あの映像だったと思う。とはいえ、あれはよその国での話。対策も情報も遅れている外国と日本では、状況が違うのだと考えていた。

けれど、対策の問題ではない。津波というものが、想像以上の威力を持ったものなのだ。

私がこれまで持っていた津波のイメージは「大きめの波」だった。例えば、海水浴に行ったときに、ちょっとした高波にさらわれそうになることがある。体が揺らぎ、波に押し流される。波に弄ばれる、あの感覚。それは恐怖だけれど、どこかに余裕もある。津波はきっと、海水浴の高波が大きくなったもの、そう思っていた。

だが、津波は高波とはまったく種類の異なるものだった。
日本語として、「海や川の水が動く現象」のことを「波」というから、なんとなく「波」という文字が使われているのだろうけど、実際には波ではない。「水の壁」、そういう表現の方が近いのではないかと思う。
日本語の「つなみ」は「TSUNAMI」として世界共通語にもなっていると言うが、確かに「TSUNAMI」の方が、漢字よりもずっとあの現象を正確に表している気がする。何かに例えようもない、言葉では言い表せない自然の脅威。「TSUNAMI」が、水の壁が、勢いとスピードを持って襲ってくる。船や車や家や人を飲み込みながら。一軒家がいとも簡単に引き抜かれて流されていく。建物の3階にいても水は容赦なく押し寄せる。空港では飛行機までもがゆるゆると濁流を進んでいく。

それは海から遠く離れた場所まで届いていた。海岸から5km以上も離れた場所にまで、当たり前のように。
5kmがどのくらいの距離なのか、私の住んでいる地区で計ってみた。私の家は見事に海から5km内に入っている。こんなところにまで津波が来るわけがない、と思われる場所だが、実は簡単に津波にのまれるような距離だったことに、今更ながら気づいた。
私だったら、津波警報が出ていても、とっさに避難を考えないかもしれない。「近くに来たら逃げればいいや」「2階に上がれば大丈夫」などと安易に構えるかもしれない。実際には、私はマンションの7階に住んでいるので、津波など「想定外」の場所なのだが、「想定外」という言葉ほど、あてにならないものもないし。

津波に流された人たちは、私よりもずっと、津波に対する意識は高かったという。これまで何度も津波の被害を受けた地域だ。そのための対策もきちんととっていた。

それでも、多くの人が波に飲まれた。
誰にもどうにもできない現象―それが津波だと知った。強大な自然を前にすると、人間はひとたまりもない。対策にも限度がある。もしも今考え得る最高の方法があるとすれば、「逃げる」ことしかできない。でも、なんとか一命を取り留めたとしても、津波に犯された地域は瓦礫の山になっている。これまで生きてきた人生のすべてが、一瞬にして失われた。命と記憶以外のすべてが。

私は東北には直接の知人はいない。けれど、テレビに映される被害地域を見ていたら、色んな人の顔が浮かんできた。特定の「誰か」ではないけれど、多くの人の顔が。行ったことがあるとは言え、馴染みのある土地とまでは言えないけれど、そこで人々がどんな毎日を送っていたかは容易に想像ができる。きっと、私とあまり変わらない生活。もしかしたら、いつかどこかで出会った人たちが被害を受けたかもしれない。

自然の脅威は、相手のことなどお構いなしに、ただすべてを飲み尽くす。それは、大昔から繰り返されてきたことで、地球に住む限り、誰一人として避けられないことだ。私たちも、本来は自然の一部だから。長い間、人は自然と闘ってきた。戦いを繰り返す中で人は上位に立っていると勘違いもしてきた。けれど、この闘いには決して終わりはなくて、人はずっと永久に自然と闘い続けなければならない。

期日も規模も知らされることはない自然との闘いに、完全に勝利することは絶対にできない。人間の持つ知恵や電子頭脳がはじき出す数字では、計ることはできない。それだけ、相手が偉大で巨大だということだ。

残念なことだけど、これからも「想定外」のことは起こりうると思う。せめて、地震や津波がどうやって発生し、どれくらいの威力を持ってどんな影響を与えるのか、きちんと知識を持っていきたいと思う。
| - | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
311〜東日本大震災について

これは・・・日本?
テレビをつけた瞬間、そこに映っていた光景を見て目を疑った。
津波が田畑や街に襲いかかり、家や車を押し流している映像だった。

九州に住んでいて、東京以北には縁がなかったのだが、2年ほど前、はじめて東北地方を訪れた。
季節は初秋。樹々は、鮮やかな色の衣をまといはじめ、街に杜に澄んだ空気が満ちていた。
最初に降りたったのは、仙台空港。そこから、宮城、岩手、青森の旅をめぐる旅が始まった。それほど寒い時期ではなかったけれど、そこが「北の町」であることは、澄み切った空気が教えてくれる。九州の生ぬるい雰囲気とは違う、凛として澄んだ、どこか人を寄せ付けないような風。
その風の源は、川だった。繁華街のすぐ側を流れているのに、川の水はどこまでも清浄で、せせらぎには雑音が全く混じっていない。なんて水の美しい場所なのだろう。水がきれいだと、それが作り出す音もきれいなのだと知った。九州にも自慢できることは沢山あるが、水の美しさに関しては完全に負けていると思った。冬はどこまでも早く訪れ、雪の中に人々を閉じ込める。その過酷な気候が、澄んだ光景を生み出した。太宰や宮沢賢治など、独特な文豪を生んだ理由も頷けた。
あまりにも川辺の居心地がよすぎて、このときの旅のテーマは「東北川めぐり」になってしまったほどだった。

その美しい水の街が、水に飲み込まれている。
映像には、まるで実際の出来事だとは思えないような光景が映し出されていた。押し寄せる濁流に次々と消されていく家や田んぼ、車、瓦礫の山になってしまった街、人々の生活を覆い尽くす激しい炎。
ほんの直前までは、スーパーでお買い物をしていたり、こたつでお煎餅でも食べながらテレビを観ていたり、携帯メールを打っていたりした人の、ごく当たり前でありふれた日常が、瞬時に消え去った。買い換えたばかりの地デジ対応テレビ、家族でしょっちゅうドライブに行っていた車、嵐とかAKBとかのポスターが貼られた子供部屋も、今はもう跡形もない。

私も震度5強の地震を経験しているし、テレビの映像では幾つもの災害を目にしてきた。阪神淡路大震災や、スマトラ沖での津波、ごく最近のニュージーランドの地震など。
けれど、私の実体験や、映像を通した見た災害のどれよりも、今回の災害は衝撃的だった。映画の中の、フィクションの世界の中だけのものだと思っていた光景は、悔しいけれど現実のものになっていた。私の国の、私の知っている場所で。

残されていたのは、何もかもが根こそぎ失われた、瓦礫の街だった。それは、私が映像や写真で見た、戦時中、戦後の日本の姿によく似ていた。
「有事」という言葉が頭の中をよぎった。「未曾有」「国難」という言葉が、国のリーダー達の口から飛び出した。

私がこれまで生きてきた中で、日本で起こった災害としては、まちがいなく最悪のものだ。今後、死ぬまでにこれほどの災害を目にすることはないかもしれない。そしてそれは私の主観ではなく、統計上でも証明された。死傷者数は連日、うなぎ登りに増えていく。広範囲にわたる被害と、首都圏まで及ぼされる影響。

ここ福岡では、停電も放射能汚染の直接的被害も食糧の買い占めも全くない。関東での悲惨な状況は、テレビ越し、人伝に知るしかない。
とはいえ、日本の中で起こった未曾有の災害は、決して他人事でも何でもない。日本はこの日を境に大きく変わるだろう、そう思った。生活も価値観も変わっていくだろう。今は「無関係」な九州の人たちも。

私にできることは何だろう。募金や支援、それはもちろんだけれど、そんな「傍観者」「上から目線」だけではすまない。だって、私自身も、この時代の中にいるのだから。被災者でも、直接的な被害者でもないけれど、私は紛れもなく、この時代の日本の歴史の一員なのだから。

私が一生をかけてすべきことは、この災害を忘れないことだと思う。多くの犠牲を出した災害に、これから日本の全員が影響を受け苦しむことになる。けれど、ここから立ち上がろうとする力、頑張ろうとする気持ちもきっとある。これからのすべての歴史は、私たちが作っていかなければいけない。

地面が動いた。波が動いた。そしてここから歴史も動く。
私はその時代に生きている。

今回、犠牲になった方のことを思うと、本当に胸が痛む。たまたま、あの場所にいた、あの場所で暮らしていただけだったのに。こんなに平和な場所にいる私がどんな言葉をかけても意味がないかもしれないけれど、私は一生このことを忘れずにいたいし、ずっと語り継いでいきたいと、今思っている。

| - | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
有名人の暴露話
サッカー選手のプライベートを、Twitterで暴露して問題になった女子大生がいた。
すると、今度は彼女自身の個人情報があっという間に暴かれ、今や、本名や大学、写真までネット上に出回ることになってしまった、という始末。
当のサッカー選手や交際相手とされているモデル女性より、その女子大生の方に対してスポットライトが当てられてしまっている。

よかったね、有名になって・・・って話じゃないか。
因果応報、か。
女子大生は、なーんにも考えていなかっただけで悪気はなかったのだろうけど、あまりにも何も考えなさすぎるという、無知の恥(ち)・・・

さて、女子大生は有名人情報を手に入れたことで浮かれまくってしまったことが災いしたようだが、有名人情報を持っている人は、世界にごまんといると思う。
私も有名人の情報をいくつか持っている。

たとえば・・・
私は、元有名スポーツ選手に雇われていたことがあった。
そのため、ぜったい表には出してはいけないその人の個人情報を結構知っている。
周囲の友人は、私がその人と仕事をしていることは知っていたが、さすがに周囲にその人のプライベート情報を流していない。
今ここでその人の名前を明かすこともできない。
どこで情報が一人歩きするかわからないから。
(ちなみに、今は雇われていないけど、その人は今もテレビで見かける)

また、我が家は、とある超大物ミュージシャン数名との親交があった。
名前を言えばわからないという日本人は、恐らくひとりもいないのでは、と思うほど有名な人たちだ。
(と書いた時点で、その人が「ある程度の芸歴を持っている人」ということはわかるか)
だが、そのことを知っているのは、夫だけ。
友人にも話したことがない。

また、ミュージシャンと言えば、実は近い親戚がミュージシャンだ。
今は解散した、とあるバンドに所属していた。(このバンドは、メジャーデビューはしているが、CMに一度曲が採用されたくらいで、めちゃくちゃヒットしていたわけではないけど)
そして現在、超大手音楽関係の会社で仕事をしている。
超大手企業なので、ここに出入りしている芸能人も超有名人。
とはいえ、私はあまり芸能人に興味がないので、わざわざ知りたいとは思わないため、私自身はほとんど情報を持っていないが。

彼らの情報を・・・べらべら人に話しちゃったり、こんなところに打ち明けたら、きっと私もブログも有名に!なるかもしれないけど、さすがにそれは、節度ある大人の行動とは言えない。

それに、どんなに知り合いが有名人でも、そのことが私の価値を上げるわけではない。
「すごいね〜」
なんて言われて、それで終わりだろう。
一体何が「すごい」のやら。

虎の威を借りててもしょうがない。
自分の価値を上げたければ、自分を磨くしかない。
私が自分を有名にしたければ、私自身が虎になる!

なんだか、曖昧なこと内容ばかり書いたが、「有名人との親交」について、ひとつだけ暴露話をしてしまおう。

祖母の話だが・・・
昔、美容室でアシスタントをしていたのだが、そこに「宇野千代」さんがお客さんとして来ていたそう。
そして、いつも東郷青児が迎えに来て、千代さんは「青児〜」と甘えた声を出して、一緒に帰っていたとか。
・・・以上。

昭和初期の話だし、千代さんも東郷さんもすでに他界されているし、ふたりの関係は誰でも知っているので、さすがにこの話はもう、解禁でいいかな?
(ちなみに祖母も他界しているため、これ以上の話は聞けない)
| - | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
泥棒に入られない対策
泥棒に入られたことのあるお家って、意外と多い。
私の家(実家)にも泥棒が入ったことがある。

その日は家族全員で外出していた。誰もいない家に空き巣が入ったのだ。
すぐに警察に連絡すると、警察は「そのままの状態にしておいてください」とのこと。

しかし、我が家はその日(だけということにしておこう)、足の踏み場もないほど散らかっていた。引き出しは開けっ放し、物は出しっぱなし、新聞は広げっぱなしという状態で、今思えば、なぜ「泥棒が入った」とわかったのか!?

警察が駆けつけると、散らかった部屋の惨状を見て、最初は空き巣の仕業だと思ったみたいだ。だが、ひとつひとつ「いえ、これは違うんです…」と恥ずかしそうに説明する母の姿が、泥棒に入られたというホラーなムードをコメディに変えてしまった。

結局、盗られたのは、たまたま目立つところにおいてあったピアノの月謝5千円だけだったが、それでも盗られたことには変わりないので、一応、事件として扱われることになった。

このとき、私の家族は全員指紋をとられた。一番下の妹は、まだ小学校低学年。もみじのようにちっちゃな手(今でも妹の手は小さいんだが)の指紋をとらされるのを見て、母が涙を流していた。

もちろん、これは、私たちが犯人だと疑われているんではなくて、泥棒と家族との指紋を区別するため。けれど、指紋は一度とられると、一生警察に保管されるそうだ。あーあ、これで将来、犯罪を犯してもすぐにつかまっちゃう…なんて思ったわけではないんだが、それでも自分がまるで犯人みたいに指紋をとられるなんて、いい気はしなかった。

そうそう、泥棒は散らかっている家に入るそうだ。
お部屋はきれいにしておきましょう、というのが、泥棒に入られない対策のひとつかもしれない。 
| - | 17:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
であい橋〜中洲

『福博であい橋』の欄干にもたれて、穏やかに揺らめく色とりどりの水面を見つめていた。鮮やか過ぎるネオンの灯りは、水に溶け込むと文字も形も失って、気ままに揺れ動く色の波になる。

こんな風に川の水が流れず止っているときは、満潮になっている時だよと教えてくれたのは誰だったけ。那珂川はまもなく博多湾へ流れ込むから、このあたりの水はもしかしたら川か海かを迷っているのかもしれない、なんてキザなセリフを放った人のことも、覚えていない。たぶん、その相手とあたしが、狭い部屋で一つに混じり合っているときだったんだろうけど。

誰かの顔や話した言葉を覚えることは、あたしが拒否したいことの一つだった。言葉も記憶もいつも紙屑のように丸めて捨てててきた。そんななげやりな態度に対し、やる気がないとか商売下手だとか言われても。

ゆらゆらと揺れるばかりで、どこへ行くともなく澱んだ水を湛えている水面に、あたしは石を投げたくなった。足元を探したけれど、きれいに清掃された橋の上には小石など転がっていない。

今度、川が動き出すのは、再び博多湾の潮が引いて行く時。どこからかここにたどり着き、どこかへ流れていく水は、覚悟を決めて一斉に海へと向かっていく。

『福岡』と『博多』を結ぶ橋、その真ん中に立って、あたしが今から向かう先は―。


この店もこの仕事も辞めて普通の生活に戻る、って切り出したとき、あんたは聞いてるか聞いてないのかわからないように、普段の手つきでタバコに火をつけた。たまった請求書を封筒から取り出すときのように、煩わしそうに眉間をしわを寄せて、煙と一緒に汚れた息を深く吐き出す。1日に何十回もリピートされるその仕草は、ヘビーローテーションのCMのよう。

「やけん・・・悪いけど、今日限りにしたいけん」

そう言って話を切り上げようとしたとき、あんたはソファに体を沈み込ませたままで、あたしの眼に向かって鋭い視線をゆっくりと這いあがらせてきた。

「本気で抜け出せると思っとうとや? この世界から」

闇から這い上がってくるような低い声がぶっきらぼうに放り投げられる。

このセリフを聞くのは、今が初めてではない。入るときはたやすい。出るときも出やすい。けれど、この世界でつけられた汚れは、刻印のように深くしみついて二度ととれることはないのだと。これまでも幾度となく聞いてきたセリフ。

わかっとうよ、そんなこと。
いつも軽く言い返してきたあたし。

普段はそれだけのやり取りで終っていたのに、一度だけ、あんたの態度が違っていた。数ヶ月前のあの日のことがぼんやり脳裏に浮かぶ。

あの日、あたしがそう言った瞬間、あんたはいきなり平手打ちした。はずみで倒れたあたしの上に、酒臭さを充満させた彼の体がのしかかってきた。

キゲン、悪いんだ。こうやってただ本能のままに欲望を発散させようとするあんたに、なし崩しに抱かれていくのはいつものこと。したいようにすれば、と目を閉じたあたしの瞼に、ぽとりと何かが落ちてきた。彼の涙だった。

驚いて目を開けると、充血した彼の瞳にまっすぐ見おろされていた。

「ほんとはおまえにこげな仕事、させとうないっちゃけん」

お酒にめっぽう強いわけではないのに、限界までアルコールを体に注ぎこんだときの彼の眼だ。いつもと違っていたのは、その瞳の淵からぽとりぽとりと二粒の雫が落ちてきたことだった。彼は赤い瞳であたしを見つめた後、あたしの背に腕をまわし、強く抱きしめた。それは、いつもの乱暴な腕ではなかった。ぬくもりだけが伝わる、包み込まれるような抱き締め方だった。

あたしも彼のわき腹から背中へそっと腕を回して抱きしめ返した。彼の体温があたしの肌に染み込んでいった。その姿勢でいたのは、そんなに長い時間ではなかった。体に巻きついたあたしの腕を外した彼は、ゆっくり立ち上がり、部屋から出て言った。ひとり残された狭いリビングルームで、あたしは自分の体に腕をまわし、体に残ったあんたの香りを抱きしめ続けた。

汗と酒と煙草と、体に染みついた様々なものがまじりあったの香りの中に、あたしは前から薄々勘付いていたあんたの気持ちを探ろうとした。人間不信で誰のことも信用せず、本心を容易にさらけ出さないあんたの心を、いつの頃からかあたしは気づいていた。あたしたちは似ている。あたしたちはもっとお互いを見せあえる。ほんとはきっと、そんな関係になれるとよ。

けれど、あれ以来、彼があたしに愛情めいたものをぶつけてくることは、二度となかった。視線と言葉の中に、わずかに読み取れる彼の気持ちを確認しようとしても、ぶっきらぼうにはぐらかされるだけだった。

結局、あんたはそんな男たい。
やけん、決意したとよ。あんたのもとから去ることを。

店の一番奥の小部屋で、無言で向き合っていた二人の間の沈黙を、あたしは破った。

「今日限りにしたいけん」

あんたはあたしをじっと見据えていた。煙草を口元に寄せたままの姿勢で動かないあんたから視線を外し、あたしはゆっくりと踵を返して部屋を出た。

扉を閉め、暗い廊下を抜けて、通用口から店を出るときまで、背中に下ろした長い髪で彼の空気を探そうとしたけれど、彼は結局追ってくることはなかった。

       *          *          *

であい橋の真ん中で、中洲の方にちらりと目を向ける。トーンダウンしていく街の色の中で、ネオンの灯りまたひとつ咲いていく。

堕ちるだけ堕ちればいい―自分のすべてを脱ぎ捨てて、あの街で、蝶のような華やかな、でもボロボロとくずれやすい羽をまとっていたあたし。

あそこにいた自分はほんとのあたしじゃなかった。そのこと、ほんとはあたしよりもあんたの方が気づいてたね。あたしたちは似てる、そう思ってあんたに近づこうとしたのに、あんたは冷たくシャットアウトし続けた。それが、あんたの愛情。なら、それでよか。

橋の下に視線を落とすと、川はゆったりと動き始めていた。どこかからか運ばれてきた木の葉の船を、海に向かって送りだそうとしていた。きっと、干潮の時間なのだ。

木の葉が見えなくなるまで目で追ってから、あたしは欄干から離れ、荷物で膨らんだ足元のバッグを抱えると、『博多』と『福岡』を分かつこの川の真ん中で、一歩を踏み出した。


JUGEMテーマ:自作小説

| ショートストーリー | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
悩みの嵐に巻き込まれたら
年が明けると、「今年目標」を考えてみる。初詣に行く。
今年私は何を願うだろう。どんな1年を期待しているのだろう。

何度も何度も、といっても正確に数えきれるのだが、私はこうして新しい年を迎えてきた。そして、誰にでも平等に与えられる1年という時間を消化してきた。

平凡で何事もない時間、というのは案外少なく、スペースワールドのジェットコースターのように(行ったことはないのだが)、頬を裂くような激しい風を受けながらアップダウンに振り回されて生きてきたことの方が多かった気がする。とはいえ、ドラマチックな展開や回転があるわけではない。私の心の中で暴れる「悩み」の嵐が目眩を引き起こすだけ。

悩みのハリケーンに巻き込まれたら、前へ進めなくなる。こんな生活はいやだ! 他の人はみんな幸せそうに見える…なんて思う。
自分の力だけではどうにも対応できない悩みに突入すると、私は進むべき道を失う。そして、仕方がない、そういう運命なんだ、と思う。そうすると、目の前に小さな穴が開く。その向こうに見えるのは、諦める、妬む、羨む、という細く頼りない道。その穴をくぐって諦めの道をたどるのは、案外簡単な方法だ。後は、文句を言いながら歩んでいけば、何かが解決したような気になる。

だからといってそんな生活を享受したいわけじゃない。本当はそんなのいやなのだ。そんな悩みなどない生活がしたい。

さあ、どうする? 悩みを解決する方法―

まずは、自分がそのことを「とても悩んでいる」のか「ちょびっと悩んでいる」のかを見極める。後者の場合の例だと、「今日の夕食は肉にするか魚にするか」程度のこと、あるいは「髪にパーマをかけるか、カラーリングするか」または「将来、マンションに住むか、一戸建てに住むか」「喧嘩している夫と、口を利くか利かないか」程度のことだ。そう、「ちょびっとの悩み」といいつつ、実は結構深刻な問題も含まれている。

要は自分が「ちょびっとの悩み」と思っているか「とても悩んでいる」と思っているかだ。悩みの程度は自分にしか測れないのだから。

さて、そうしていると悩みの本来の姿が見えてくる。ちょびっとと思っていたことは実は深刻な悩みだったり、その逆だったりすることもある。

本気で悩みを解決したいなら、まずは「深刻な悩みなんだ」と自分で自覚すること、そこから第一歩が始まると思う。深刻な悩みなら、本気で何とかしなくてはならない。何とかしないと、何とかしよう、と思うことが、自分にとって小さな一歩だけど、人生にとっては大きな一歩。

そして、悩みを解決するために、「今できること」が必ずある。悩みにぶつかり、その挙げ句に、何もやる気が起こらないとき。どうしていいのかわからなくなるとき。未来も出口も見えなくなるとき。「今できることをやろう」この言葉が、私の座右の銘になった。

大切なことがありすぎて選べないときは一度すべてを手放してみるといい。
カルタのように、すべてを目の前に散らばらせて眺めていると、何が本当に悩みなのか、どういう人生を歩みたいのか見えてくる。

悩みはそれ自身だけでは何も生み出さないけれど、それをきちんと自分の中で理解して大切に扱っていけば、必ず嵐は過ぎ去る。厚い雲の切れ間から降りてくる光の道は、未来へ続いている。

毎日を悩みの嵐の中で生きていて一歩も進めないような気がするとき、それは実は、人生でいちばん一生懸命生きているときなのかもしれない。

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電子書籍元年?
電子書籍元年といわれた今年だったが、「食べるラー油」や「AKB」ほどに世間を騒がせてはいない気がする。そりゃそうだ。食べるラー油は、スーパーでもどこでも安価で手に入るし、AKBはテレビをつければ踊っている。どっちにしても、私にはあまり興味はないのだけど。

電子書籍は「書籍を読むための機械」「書籍のデータ」が必需品。前者にはそれなりの初期投資が必要だし、後者については、わざわざデータで読まなくとも、長い歴史と存在感を持つ「紙の本」で事足りる。 つまり「すぐには必要のないもの」である。

その昔、「二槽式洗濯機があれば全自動はすぐに必要ない」とか、「家に電話があれば携電話はすぐに必要ない」と思われていたように。

私も今年、電子書籍で1冊読んでみた。書籍のジャンルは「エンターテイメントビジネス書」なので、純文学などよりも肩の力を抜いて読めるもの。読んだのは、今年ベストセラーとなったあの本、「もしドラ」だ。
電子書籍を読む機械(Ipad)も、書籍のデータも、自分で買ったものではなかったが。 ページをめくってみて(人差し指をめくりたい方向にすっとなぞるだけでめくれる)、思ったよりもちらつきや反射がなく、読みやすいのに驚いた。さらに、いかにも「データ」という画面ではなく、紙の書籍にとても近い画面。読み進めていくうちに、自分が「電子書籍」を読んでいるといことも忘れていった。

私は本を読み始めると没頭して、周りの音は聞こえなくなり、時間も忘れてしまうタイプだが、それは電子書籍が対象でも同じだった。つまりは、紙の本も電子書籍も、「読む」という目的においてはほとんど変わらない。

しかも、電子書籍には大きなメリットがある。最大のメリットは、置き場所を取らないこと。何万冊もの、図書館のような収納も可能だ。

となると・・・私にとっては「電子書籍」はこの上なく魅力的なものに見える。

私は、どちらかというと「活字好き」の部類に入るだろうが、「活字好き」にもいろんなタイプがある。たとえば、装丁や紙の質、出版社の特徴などにひどくこだわる人たち。本とは、単に活字が並んだ紙を閉じたものではない。手に持ったとき、ページをめくるときの感触、飾っているときのインテリア性、それも含めて楽しむもの。そう考えている人たちだ。まさに彼らは、本というものの存在を余すところなく味わい尽くしているといえる。

が、私は彼らと比較すると、本について何もわかっていないタイプ。本とは、活字が並んでいるもの。私にとって本は、そういう存在だ。子供の頃は、本の装丁やページをめくる感覚にわくわくさせられていたが、大人になるとそういうこだわりは薄れて、「読めればいいや」的な読み方をするようになった。非常に不真面目な「活字好き」である私。

そんな私にとって、「電子書籍」は、好きなだけ好きな本が好きなときに読める、という魔法のような存在なのだ。しかも、大して広くはないこの家に、図書館並みの蔵書がそろう! こんな夢のような話って、あっていいの???

今はまだ、電子書籍を読める環境にないのだが、いつか来るかもしれないその時代をわくわくして待っている。

とはいえ、実際にすべての本が「電子化」されたら・・・それは、コンビニのお弁当しか食べない生活のように、何か物足りなく感じるかもしれない。コンビニ弁当の生活が標準になっても、たまには手をかけてよい食材を使った、ホンモノの料理が食べたくなるような・・・そんな気もしている。
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ネットの海・家電の海
老いた自分の姿を鏡に映してはため息をつく…そんな生活にはまだちょっとばかり早いかもしれないが、このところ、若さに置いていかれたような自分に気づくことがある。
海の中、ザブンと潜るたびに、タイやヒラメは舞い踊り、竜宮城はピカピカで『世の中、変わったなあ』とため息をつく。

その海は、今だって目の前。『ネットの海』ってヤツだ。

ほんの数年前までは、『ブログ』も『ミクシィ』も『ツイッター』も、ネットの海で舞い踊っていなかった。多分、存在はしていたんだろうけど、それら新種の魚たちがあっという間に世の中に躍り出てたのは最近のこと。

もし、1年くらい、山にでも篭っていたとする。1年くらいじゃ、ビルや道路はそんなに作られないし、町並みや人間関係が大きく変わることもないかもしれない。今だって、年に1度くらいしか会わない友達だっていっぱいいるくらいだし。

だけど、ネットの海の中は、新種の魚たちがうじゃうじゃ。
「これ何? 新しい魚?」
と誰かに尋ねたら
「え? 知らないの? 今すごい人気なんだよ」
と返される。

同じことは、電化製品にも言える。

電化製品はネットほど急速に広まっていくということはないけど、変化という点では似ていると思う。
1年くらい山にこもっていたら、「この商品、何?」というものが、結構出てきそうだ。とはいえ、それらが世の中という海から、我が家という小さな「水槽」に辿り着くまでは、いつもかなりの時間を要する。
「新製品が出たら旧製品の寿命は終わり」という人もいるが、私は「電化製品が天寿を全うするまで」が寿命だと思っている。

年老いた体に鞭打ちながら働く電化製品を見ていると、ちょっとかわいそうになる…というより、早く壊れてくれないかな…と思いながら使っているものもある。

例えば、昨今、ようやく買い換えた掃除機は18年くらい前の製品だったし(結婚する前に夫が所有していたもの)、電子レンジも16年目(これも結婚する前に買った)。冷蔵庫は12年目くらいなのでまだ新しい、といえるか? 電話は10年くらいなので使うのには不便ないが、子機が壊れたので、定位置でしか話せないという、旧世代な使い方をしている。

見た目が古いのはいいが、正直、使い勝手があまりよくない製品も、長く使い続ける。だって、壊れないんだもん。

きっと、来年も思いもよらないような「新種の魚」がネットの海を泳いでいくことだろう。そしてそれらが大量発生して、鰯みたいに大群で海を回遊するようになると、景気もよくなると言われている。

ただ、新しものがそれほど好きではない私のもとへ、新種の魚がやってくるのはいつだろう。眺めているだけでわくわくするような、華やかでキラキラしている新種の魚が。


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